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「AI が意識を持ったらどうなっちゃうの?」について自分が思うこと

当ブログ 100 記事目の記念として、日々思っていることのポエム的な記事を書こうと思いました。

どんな内容が良いか色々考え、だいぶ今更なテーマですが、「AI が意識を持ったらどうなっちゃうの?」という疑問についての自分の考えを書いていこうと思います。

専門家の話と比べると陳腐な内容かもしれませんので、お読みになる方はご了承ください。

そもそも「意識」とは?

「AI が意識を持ったらどうなっちゃうの?」という疑問に対して自分がまず思うのは、「AI が意識を持つ」ことよりも、「意識とは何か」が解明されることの方が重大なのではないか、ということです。

「AI が意識を持ったら」という議論をするためには、そもそも前提として「意識」という概念を解明して定義する必要があります。

しかし、「意識」が解明できるということは、きっと先々それを人工的に作れるようになる気もします。

そうして人工的に作れるようになると、やはりそれは自分たちの思う「意識」ではなかった、改めて「意識」の定義を研究し直そう、ということになったりもしかねません。

人間に「意識」はあるのか

そもそも、人間に「意識」はあるのか、という問題もあります

まるで意識があるかのように振る舞っているだけで、本当は何かのアルゴリズムに従って動いているだけかもしれません。

それは極論だと思うかもしれませんが、それでは、

  • 人間と原始的な生物の中間の、どこから意識が存在するのか
  • 人間の体を機械に入れ替えていったら、どこまで意識が存在するのか

などを考えると、「そもそも意識とは?」を考える重要性が見えてくるのではないでしょうか。

私たちは「意識」に何を夢見ているのか

それでは、私たちは、何を「意識」だと理解しているのでしょうか。

これはなんとなくの思いつきですが、同じ動きだけ繰り返しているものには意識がないように感じて、複雑で法則性のない動きをしているものは意識があるように感じる気がします。

他にも、自分に想像の余地がないことをしたり言ったりするものについては、意識というか、自我を持っているように感じる気がします。

そんなふうに、自分から見て、自分の想像の外の動きをするものに「意識」があるように見えるのかな?と思います。

人工物には「意識」がないのか

よく考えてみると、例えば漫画やアニメなどのキャラクタに対しても、意識があるように感じることがあるかもしれません。

どこで聞いた話か忘れましたが、「電源を切らないで」と言ってくるロボットの電源を切るのに、人は心苦しさを感じるそうです。 (確かに想像すると心苦しさを感じます)

ドラえもんのように、意識を持っていそうに見えるロボットを壊すのは、単なる「モノ」を壊すのとは別の不快感を感じる気がします。

AI が「意識」を持ったら、意識のある生物と差がないのでは?

そう考えてきて思うのは、「意識」の具体的な定義はさておき、もしも AI が意識を持ったら、もう意識のある生物と同じようなものなのではないか、ということです。

相手が AI と分からない見た目であれば、もはや人と AI に差を感じないのかもしれません。

よくある例だと思いますが、倫理的な AI と非人道的な人間のどちらかを選べと言われたら、倫理的な AI を選ぶ人も多いのではないでしょうか。

また、現代では、先入観から AI は生物ではないとされていますが、生まれた頃から「意識」を持った AI と暮らす世代が今後現れたとして、もうその世代の人間は AI を生物だと認識するかもしれません。

そもそも、「意識」の有無は重要なのか

「それこそ大変なことだ」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

そこでもう一つ考えておきたいこととして、そもそも「意識」の有無は重要なのか、という議論があると思います。

現代の日本は、最低限度の生活を保障されるようになっており、生きていくだけであればなんとかなる、という割合が高くなっていると思います。

しかし一方で、そんな日々に楽しさや生きがいを感じないという話もよくあります。

3 つの価値

結局、こういう話は「生きる意味とは?」という議論に帰着してしまいます

生きる意味については、『夜と霧』という書籍で書かれている 3 つの価値の話がヒントになるかもしれません。

3 つの価値というのは、「創造価値」・「体験価値」・「態度価値」の 3 つです。

正確な意味は書籍を実際に読んでいただくとして、私なりに噛み砕くと、

  • 何かを作り上げること
  • 美しい景色に感動したりすること
  • 人間として尊敬できる在り方をすること

こそ、生きる意味である、ということです。

AI が意識を持ったらどうなっちゃうの?

最後に、もう一度「AI が意識を持ったらどうなっちゃうの?」という疑問に戻ってみます。

そもそもこの疑問は、おそらく、AI によって自身の生活が脅かされることを危惧しているのではないかと思います。 (映画「ターミネーター」のようなイメージかもしれません)

それについては、たとえどんな状況だろうと、重要なのは、先に書いたような価値にあるということです。

この回答には賛否あるかもしれませんが、意識の有無や、AI が意識を持ったらどうなるか、という観点だけで考え続けず、少し逸れた視点から考えてみると、自分なりの答えが見つかるのかもしれません。

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